〈ミドー〉の代名詞とも言えるベストセラーモデル「マルチフォート」。 1934年にリリースされたこのモデルは、防水性、耐震性、対磁性を備えたケースに、自動巻きムーブメントを搭載するものとしては世界初の腕時計でした。その革新性は同時に高いデザイン性を持ち、エルメスが専用のレザーベルトを製作・販売していたほど。今で言うアップルウォッチのような存在だったのかもしれません。 第二次世界大戦期に一部ミリタリーユースとして英国陸軍に支給された手巻きモデルと同型ながら、こちらはバンパーオートの自動巻を搭載したモデル。フランソワ・ボーゲル社が手掛ける堅牢なスクリューバック式ケースはシリンダーシェイプで、30mmを割る小型ケースが目立つミドーの初期の腕時計の中では比較的珍しい中型サイズを採用しています。 文字盤デザインはアール・デコの花形、セクターダイヤルをセット。特に12、3、9の三方に力強くアラビア数字を配したものは数が少なく、その存在感あふれるルックスは非常に高い人気を惹きつけます。文字盤外周のセクター(扇型)デザインもさることながら、ミニッツレールとアワーマーカーエリアとを隔てるラインはシルバーのメタリックフィニッシュが配され、見る角度を変えるとトーンが濃く変化するという、二面性や奥行きを感じさせる文字盤デザインがたまりません。これらは皆、本来の視認性を高める工夫が凝縮したもので、それらがアール・デコ期の幾何学的なデザインによるアレンジが加わった稀有な逸品。ちなみにエルメスが1930年代に販売していたものには、この個体と同一の文字盤デザインも存在します。 搭載するムーブメントは、数あるミドーの自動巻きムーブメントの中でも最初期、1938年に製造されたもので、手巻きのゼンマイ巻き上げ機能を排し内蔵するローターの回転のみでゼンマイの巻き上げ動力を確保した「ネバーワインド」と呼ばれる数少ない自動巻き機構を備えています。 リューズの操作頻度が低ければ、その分故障リスクは下がる。現在でも製造数の少ない手巻き非搭載の自動巻きを搭載し、防水構造のケースを採用することで、普段使いの中でできるだけ壊れにくいような設計を実現しています。この思想は〈ロレックス〉の創始者ハンス・ウィルスドルフも同様に抱いており、後に彼は傑作「オイスター・パーペチュアル」でそれを体現させました。その先駆けといっても良い腕時計をミドーは開発していたということになります。